宝塚市に254億円を寄付した岡本光一さんが話題になっています
国内で聞いたこともないような巨額の寄付をされた岡本光一さんとは一体何者なのでしょう?
寄付に至った岡本光一さんの思いや人となりについてもご紹介します。
岡本光一は何者?プロフィール紹介
岡本光一さんのプロフィールをご紹介します。
名前 | 岡本光一 |
生年月日 | 1947年4月9日 |
年齢 | 77歳(2025年1月時点) |
出身地 | 東京都 |
家族 | 妻(明子さん) |
キーエンスの3番目の社員
岡本光一さんの経歴についてご紹介します。
- 電子設計エンジニアとして働いていたが30歳手前で失業
- 1975年からリード電機(現キーエンス)に3番目の社員として入社
- 1977年に取締役就任
- 1986年に常務に就任(同年に社名をキーエンスに変更)
- 1994年にキーエンス退職
- 阪神淡路大震災の復興支援ボランティアとして活動
- 宝塚市に財団法人を設立し、福祉施設を作る
とんとん拍子で責任ある立場でのお仕事に就くまでになっていきました。
次項から詳しくお伝えしてきます。
岡本光一はキーエンスの3番目の社員
出典:キーエンス
キーエンスは日本の電子部品メーカーの大手です。
岡本光一さんは創業4年目のキーエンスに入社した3人目の社員です。
また、妻の明子さんもキーエンスに入社しており、明子さんは2人目の社員でした。
住所:大阪市東淀川区東中島1-3-14
創業:1971年4月1日
事業内容:FAセンサーなどの検出・計測制御機器、画像処理機器の大手で、世界で35万社以上に採用されている
創業当時は資本金1億円でちいさな企業でした。
しかし、技術肌の岡本光一さんの尽力も大きく貢献し、会社はみるみる大きくなっていきます。
入社2年目で取締役、11年目で常務取締役に就任しますが、
人をまとめるのが苦手な岡本光一さんは、「技術職に打ち込みたいから」と退職を願い出ます。
引き止められましたが、「ボランティアもしたいので」と退職されます。
その後しばらくは監査役として月に一回出社する生活をしていました。
災害ボランティアをきっかけに福祉の充実に貢献
退社した翌年の1995年、阪神淡路大震災が起き、岡本さんは仮設住宅の段差をなくす大工仕事などを『日曜大工ボランティアでえくさんず』を作り、活動していました。
その活動拠点は小さなボランティア支援センターで、3つしかない机の1つを借りて作業していたそうです。
いつでも使える活動場所があれば、
もっともっと市民がボランティアに参画するのではないか、と考え、広くて大きなボランティア活動センターを自分で作ろう、と思った。引用:バリアフリーチャレンジ!
窮屈な場所での限られた人員でのボランティアを、もっと多くの人が参加しやすいように整えようと、財団法人を設立し、総合福祉施設『ぷらざこむ1』を作りました。
その総額は37億円で、すべて私財で建てられたそうです。
岡本光一の資産額は株だけで1800億円!
寄付金の金額からもわかるように、岡本光一さんは超富裕層です。
岡本光一さんの資産についてお伝えしていきます。
キーエンス持ち株割合1.21%の大株主
岡本光一さんは、前職のキーエンスにいる頃からストックオプションで株を保有していました。
その保有額はなんと1800億円にも上ります!!
株価は、一部上場当時は1200円ほどでしたが、現在は63000円ほど。
実に50倍以上です。
配当金だけで年間10億円!
岡本さんの配当収入は、年間10億円ほどにもなります。
配当利回りは0.55パーセントと高くはないのにこの金額は破壊力満点ですね!
岡本光一が254億円の寄付金に込めた思い
岡本光一さんが宝塚市に寄付をした理由は、
老朽化した宝塚市民病院の建て替えと最新医療機器の購入に充てて、今までお世話になった宝塚市民の皆さんに還元したいという気持ちからだそうです。
妻の明子さんと相談して決めたのだとか。
宝塚市民病院に入院したことがある筆者の友人は、「ボロボロだった」と言っています。
安全に多くの人が利用できる病院に生まれ変わるといいですね!
【まとめ】岡本光一って何者?キーエンスの元常務で資産額は1800億!
岡本光一さんについてお伝えしてきました。
元キーエンスの3人目の社員で、会社の発展に大きく貢献した逸材でした。
しかし、人の上に立ってまとめることが苦手で、上場後にキーエンスを退職。
当時から保有しているキーエンスの株で大きな財を成し、その資金を使ってボランティアで地域に貢献することに喜びを見出しておられます。
私欲を肥やさず自分の周りに貢献することに使うという、なんとも素晴らしいお考えの持ち主です。
岡本光一さんの希望であるボランティア人口の増加に、岡本さん自身の生きざまが大きく貢献するのではないかと思います。